福島産まれの僕は、海遊びをしながらも、山の生活に憧れていた
ついに山奥に山林を買い、そこに住む為の作業が始まった
住むと言っても、道も水道も何も無い、ただの山、、
先ず、道作りから始まった
雑木と杉とヒノキで覆われていたその山、なるべく雑木は残そうと思い、杉とヒノキを伐採しながら道を作った
伐採した木は、今後、家作りの材料として使えるもんね❣️
大雨で道が流されたり、イノシシにぐちゃぐちゃにされたりしながらも、全長300メートルの道が、なんとか3年かけて完成し、やっと家作りが始まろうとしている時、3.11が発生した
地震や津波による被害は僕の山は無かったが、高濃度の放射能でおかされてしまった、、、
アジャパー
遠くに海が見え、綺麗な沢水が流れ、近くには大きな滝もあり、春には山菜、秋にはキノコが採れ、野生動物の宝庫だった僕の山が、セシウムまみれになってしまい、そこに家族で暮らす夢が一瞬にしてパーになってしまった、、、、、、
その後、家族会議の結果、種子島に移住する事になったのだが、
問題が一つ、
稔君、中ちゃん、暁、ミツマル、拓郎など沢山の友達達が手伝ってくれた道作り、
みんなで伐採し、みんなで製材所に運び、家作りの材料として倉庫に保管してあった材木が大量にあるのだ、、
このまま、福島に置いて移住するか?
時間と、金をかけ種子島に持って行くか?
そこで、また一つ、不安がよぎった、、
この材木も、放射能でおかされてるのでは?
恐る恐るガイガーカウンターで測定したら、倉庫に保管してあった為、セシウムの影響は無く、安心して使える事が判明した❣️
種子島で材木を買う事を考えれば、高速料金と、ガソリン代をかけても、運んだ方が断然安上がりになることも判明した❣️
よっしゃ、だったら種子島まで運ぼう、、、
友達を助手席に乗せ、種子島に向けて出発進行❣️
途中、伊勢神宮や出雲大社に寄ったり、ヒッチハイカーを乗せたり、鳥取砂丘に行ったり、観光気分の運搬だった
材木を満タンに積み込んだ僕のトラックは、高速道路をベタ踏みでも時速60キロが限界で、片道3〜4日かかり、
結局、4往復し種子島まで全て運んだ
その様にして運んだ福島の材木を使って7年前に完成したのが、今の家。
そして、残ってたヒノキを使って、先日完成したのが、今回のウッドデッキ❣️
大勢の友達の、汗と涙が染み込んでいる家、そして今回のウッドデッキなのです
あの時、みんなで伐採した木が種子島で使われるとは、1ミリも想像できませんでした
幅180センチ、全長10メートルの立派なウッドデッキ作りで、あの時運んだ材料は全部使い切りました、
変なウイルスも終わってないのに、ドンパチで殺し合いが始まったこの地球、
今後、何事もなく平和に笑って暮らせる事を心から願ってます
全国のみなさん、自慢の我が家に是非、遊びに来て下さい
素晴らしい種子島をご案内します❣️❣️
完成したウッドデッキで「奇跡のリンゴ」を読む妻